吉田調書の問題とは?

朝日新聞の『吉田調書』問題が世間を騒がせる少し前に、門田隆将著書「死の淵を見た男 吉田昌郎と福島第一原発の500日」を読みました。

読み進める中、地震・津波よる福島第一原子力発電所の事故当時の状況を知れば知るほど、3度4度と目頭が熱くなり、極限の中で戦った吉田所長を筆頭とする発電所の方々に頭が下がる思いでした。

朝日新聞を批判する言論は、たくさん溢れかえっているので、私はそれには触れません。

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吉田調書とは?

2011年に東日本大震災が発生し、津波の被害から福島第一原子力発電所で甚大な事故が起こりました。

その福島第一原発で陣頭指揮をとったのが、当時の福島第一原子力発電所所長・吉田昌郎氏です。 吉田所長が、「東京電力福島原子力発電所における事故調査・検証委員会」の聴取に応じた際の記録のことを指して『吉田調書』と呼ばれています。

 

<吉田調書とは>

政府事故調が吉田氏を聴取した内容を一問一答方式で残した記録。聴取時間は29時間16分(休憩1時間8分を含む)。11年7月22日から11月6日にかけ計13回。そのうち事故原因や初期対応を巡る聴取は11回で、事務局に出向していた検事が聴取役を務めた。場所はサッカー施設Jヴィレッジと免震重要棟。政府事故調が聴取したのは772人で計1479時間。1人あたり約1・9時間。原本は内閣官房に保管されている。

(2014-05-20 朝日新聞 朝刊)

 

吉田調書の何を問題視したのか

朝日新聞が、2014年5月20日に1面トップで「所長命令に違反 原発撤退」と題して吉田調書に関する記事を掲載しました。

非公開だった吉田調書を入手した朝日新聞記者が、吉田調書に『所長命令に違反して、作業員が原発から撤退した』と書いてあると記事にしたのです。

これに対して、吉田調書を入手した他社が

「『伝言ゲーム』による指示で現場に混乱があったことを認めているだけで、部下が命令に違反したとの認識は持っていない」(読売新聞)

と報じました。

結局、『所長命令に違反』したと評価できるような事実は、吉田調書には存在しないことが判明し、朝日新聞では、記者による裏付け取材もなされていないこともわかりました。

朝日新聞は木村伊量社長が会見を開いて誤報を認め、記事の取り消しを表明するにいたります。

 

 

これが『吉田調書誤報問題』です。

 

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「死の淵を見た男」から確認

この著書は、吉田所長に都合2回、4時間半にわたるインタビューと、90名を超える関係者の証言により、著されています。

いわゆる問題の箇所 “ 所長命令に反して福島第二原発に撤退した ” は本当なのか?

結論から言えば、『吉田所長の退避命令はあった』です。

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1号機の水素爆発から3日後、3号機の爆発の翌日、今度は2号機が危険な状態になります。 その当時、福島第一原発には技術者以外にも600名以上の人が残っていました。

そこで吉田所長は、最低人数の技術者を残し、その他の人々を退避させる決断をしたわけです。

 

その最低人数の技術者こそ、後々世界で称賛される『フクシマ・フィフティ』と呼ばれた人たちでした。 (正解な人数は、69人と書かれています)

フクシマ50

公平に記せば、吉田所長自身は、“福島第二原発に退避” という場所指定はしていません。 混乱の中で、一時の避難場所に齟齬があったという事実はあります。

ただ、吉田所長は振り返って、具体的指示(「行くとしたら第二か」という会話はした)はしていないけれど、第二原発への退避は正しい選択だったと、述べています。

 

この著書の退避命令の箇所は数十ページにすぎませんが、その緊迫感やそれぞれの心の葛藤が描かれ、強い印象を与えます。

こちら380ページの著書ですけれど、引き込まれるように読んでしまいました。

 

福島第一原発において、津波から爆発事故にいたる数日間に何が起こっていたのか、そして、そこにどんな人間がどのように関与していたのか。

ぜひ、機会があったら手に取ってみてください。

 

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