
PKOとは?
『PKO』という言葉は、ニュースでよく耳にしますが、具体的にはどういったものなのでしょうか。
PKOは、『Peacekeeping Operations』の頭文字を取ったものです。 日本語では『平和維持活動』と、そのまま直訳といってもいい名称で呼ばれています。 国連が紛争地域の平和の維持をはかる手段として行ってきた活動で、通常は国連平和維持活動(United Nations Peacekeeping Operations)といいます。
国内で武力衝突が皆無の日本では想像しがたいですが、世界の国々ではしっかりとした政府が国を治めることができずに、内乱状態が続いている国が現実に存在します。 多くの人達が戦いで亡くなり、その被害から逃れようと難民が多数発生し、その国だけではどうしても収拾がつかない国があります。
そんな時、国連がその国内の紛争当事者の間に立って、対話を通じた紛争解決を支援し、事態を治めるための活動がPKOです。 もちろんPKOが行われてもすぐに問題解決しない場合も多く、内紛の停戦や双方の軍隊を撤退させるための活動には、力(軍事力)が必要にもなります。
カンボジアはどんな国?
日本がカンボジアで、PKOを行ったのは、1992年からのことです。
カンボジアという国の位置を確認してみましょう。
タイ、ラオス、ベトナムに隣接したインドシナ半島の先端部に位置する国で、国の正式名称(日本語)は「カンボジア王国」、立憲君主制をとっている国です。 19世紀から20世紀前半にかけては、フランスに植民地化され、1953年に独立しますが、その後はベトナム戦争や冷戦(米国 VS ソ連)の影響を受けて、政治が混乱します。
共産主義の影響を受けたポル・ポト政権では、何百万人という人々が虐殺されるという悲劇も生まれました。 それ以降も政情は安定せず内戦が続き、みかねた国連は、1992年3月から国際連合カンボジア暫定統治機構による統治を開始しました。
翌年には、国連監視下で民主選挙が行われました。
高田晴行警部補の殉死
そういった状況下で、日本からカンボジアに送られたのが、自衛隊員と文民として派遣された75人の警察官でした。 その中に任務のさなか、武装勢力に銃撃され死亡した高田晴行警部補(殉職にて2階級特進して、警視)がいました。
PKOにおける初の日本人の犠牲者という事で、当時かなり話題になったことを覚えている人も多いと思います。
1991年におこった湾岸戦争(イラクのクウェート侵攻に対して多国籍軍が空爆)の際、日本は100億円をこえる資金協力を行いました。 しかし人員の派遣をしなかったことで、「金は出すが人は出さない」という国際社会に負い目をおうという流れが日本の中にでき、1992年に、PKO協力法(国際連合平和維持活動等に対する協力に関する法律)が制定されます。
それをうけてカンボジアでのPKOが行われましたが、平和維持活動に武器の所持(種類)や使用がどれだけ必要なのかという議論が曖昧でした。
これは大本の日本国憲法が、自衛隊や軍事に対して否定していることを、解釈でその存在を認めているわけですから、幹や枝にあたる法律が時には曖昧にならざるを得ない矛盾をはらんでしまうことは、ある面仕方ないことです。
パトロール巡回中に、ポルポト派とみられる武装ゲリラに襲撃された高田晴行警部補はその犠牲となってしまいました。