河野太郎外務大臣就任で「大丈夫?」とささやかれるのはなぜ?

内閣支持率が急落している安倍内閣にとって、今回の内閣改造でどんなサプライズ人事が行われるのかと、マスコミはしきりにあおっていました。

結局、目玉と称されていた橋下徹氏や小泉進次郎議員の入閣は実現しませんでした。

 

そんな中、第3次安倍第3次改造内閣で外務大臣に抜擢されたのが、意外にも河野太郎衆議院議員です。

この人事に対して、ネット上では「大丈夫?」という心配の声が上がっていますが、どういうことなのでしょうか?

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河野太郎プロフィール

河野太郎議員は、1963年1月10日に神奈川県平塚市で生まれました。 現在、54歳になります。

河野太郎の父親は過去、自民党で総裁を務めた河野洋平氏であり、祖父は池田隼人内閣で大臣を務めた河野一郎氏という政治家の血統を受け継いでいます。

 

衆議院議員に初当選したのが1996年(神奈川15区)で、すでに7回の連続当選を果たしています。

初出馬の時には僅差での当選でしたが、その後は安定した選挙戦を繰りひろげ、小泉進次郎議員(神奈川11区)ほどではないにしても、自身の選挙区では、強固な選挙基盤を築いています。

河野太郎議員が初入閣したのは2015年で、第3次安倍第1次改造内閣において、国家公安委員会委員長、内閣府特命担当大臣を務めました。

 

父・河野洋平という政治家

河野太郎議員の父親である河野洋平は、自民党総裁(野党時代)や衆議院議長まで務めた自民党の重鎮です。

1937年1月15日生まれの河野洋平は、現在80歳になりました。1967年に神奈川の選挙区で衆議院議員に初当選し、国会議員として40年以上を務め上げ、2009年に政界を引退しました。

政界引退後は、テレビ出演や講演会をたまにこなし、訪中訪韓もおこなって両国から歓迎を受けています。

政界を引退した人物の名前が世間に出ることは、あまりありませんが、河野洋平の場合は官房長官を務めていた時に出した河野談話によって、政界引退後にもその名前が度々マスメディアでも取り上げられます。

 

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河野洋平官房長官(当時)談話

河野洋平は1993年、宮澤内閣で官房長官を務めていた際に、河野談話を発表しました。

以下のサイト(外務省)に河野談話の全文がありますが、少し長いのでこちらには載せません。関心があれば一度目を通して下さい。。

慰安婦関係調査結果発表に関する河野内閣官房長官談話

 

河野談話は、戦時中の慰安婦に対して、日本政府が旧日本軍の関与を認めた文章です。 

どんな形であるにせよ軍が関与(安全のための移動・設置、衛生管理など)するのは当たり前のことなのですが、韓国にとってはそんなことはどうでもよく、「『日本軍が関与して慰安婦を虐げてきた』ことを政府が認めた」ということが重要なのです。

韓国政府と妥協してだされたものが河野談話でしたが、結果として現在の日韓関係を複雑なものにしてしまいました。

 

どうやら、ネット上の「大丈夫?」というはのは、父親である河野洋平氏の考え方や政治スタンスにありそうです。

 

 

 

息子である河野太郎議員に父親の考え方が影響していないのかという心配の声です。

ましてや今、韓国との間では、釜山の日本領事館前に設置された慰安婦像の問題で、相変わらずのギクシャクぶりです。

   『慰安婦像がウィーン条約違反といわれる理由


その対応の先頭にたっていくのが、外務省のトップである河野太郎外務大臣になるわけですので、ネット上の心配の声もわからないではありません。

 

慰安婦に対する河野太郎の考え

現在の河野太郎議員は、戦時中の慰安婦に対しては、当然のことながら外務大臣として、今までの政府見解を踏襲する立場をとっています。【慰安婦問題に対する日本政府のこれまでの施策

では、外務大臣就任前の河野太郎議員は、慰安婦に対して、どんな見解を示してきたのでしょうか?

 

河野太郎議員は自身のHP上で、『いわゆる河野談話について』として、Q&A方式で意見を述べています。(HP上にアップした日付は不明)

少し長いですので、簡単にまとめると、慰安婦に対しては、『政府の関与』はあったが、「政府が発見した資料の中には、軍や官憲によるいわゆる強制連行を直接示す記述も見当たらなかった」という安倍首相が国会で答弁した内容で、Answerしています。

また当時の石原信雄官房副長官の

「文書で強制性を立証するようなものは出てこなかったんです。」

「(慰安婦とされた人達)十六人のうち、自分の意思ではなく慰安婦にさせられた、その置かれた状況のもとでやむなく慰安婦になった(中略)彼らの心証を大事にしていこうと考え、それが強制性の認定につながったわけです。」

という発言を紹介しています。

このようなQ&A方式の組み立てかたをみると、河野太郎議員の慰安婦に対する認識は、父親である河野洋平ではなく、ほとんど安倍首相と一致するのではないかと感じられます。

 

「河野談話」については、決して時の官房長官が個人の意見として述べたものではなく、閣議決定されてはいませんが、内閣の意思として出されたものです。

ただし、河野官房長官(当時)は、記者からの「強制連行の事実があったという認識なのか」という質問に対して、「そういう事実があったと。 結構です」と答えているのです。

まさにこれが『官房長官が慰安婦の強制連行を認めた』言葉として、外国に発信されてしまったのです。 そのことに関しては、産経新聞の阿比留瑠比氏が「暴かれた『河野談話』の嘘」という題名で記事を書いています。

河野太郎が河野洋平の息子であるというだけで、慰安婦に対して父親と同様の考えを持っていると決めつけず、過去の言動を確認してから判断する必要があります。

 と同時に、親族がもし過ちを犯してしまった場合、日本的な考え方として、その償いを果たすことが身内の責任であるととらえる思考を、本人も世間も持つ傾向にあります。
 
河野太郎議員自身がそこまでの思いがあるかどうかはわかりませんが、世間はやはり父親の過ちを何かしらの形で償ってほしいと、要求する思いが出てきても不思議ではありません。
 
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今後の日韓関係

過去は変えられません。 重要なことは、過去の教訓を未来に生かすことです。

1965年、日本と韓国の間で、日韓基本条約が締結され、同時に日韓請求権協定も結ばれました。

その協定の第二条には

「両締約国は、両締約国及びその国民の財産、権利及び利益並びに両締約国及びその国民の間の請求権に関する問題が、(中略)完全かつ最終的に解決されたこととなることを確認する。」

と書かれています。

通常の国と国同士であれば、この時点で過去の問題は解決したことになります。

当然です。 過去の問題を精算してここ(条約締結)から、新しい未来の国同士の関係を築いて行きましょうというのが、平和条約や基本条約だからです。

 

ところが韓国との間ではそうならなずに、1980年代後半から、慰安婦問題が持ちあがりました。

妥協の末に発表された河野談話は、慰安婦への日本軍の『強制性』を認めたことにより、解決ではなく日韓間において常にくすぶり続ける問題となってしまいました。

河野談話からおよそ四半世紀、2015年12月には安倍政権においても、日韓外相会談で慰安婦問題日韓合意がなされ、「今回の発表により、この問題が最終的かつ不可逆的に解決されることを確認する」と確認しあいました。

この問題は、文在寅政権になってまだ結論が出たわけではありませんが、相変わらず韓国国内外に慰安婦像が建てられ、慰安婦合意を結んだことへの疑問が韓国政府内からも出ている状態です。

 

この過去のことから導き出される答えは、ある意味明白です。

韓国に対して、こちらが良かれと思って妥協したことが、相手にとってはまったくそのように感じていないということです。

日本人同士であれば、相手に遠慮してこちらが一歩下がれば、相手も一歩下がるという暗黙の了解が通用しますが、韓国は相手が一歩下がったのだから、自分が一歩踏み込んでOKととらえるのです。

 

相手に変われといっても簡単には変わりません。 こちらが対応を変えることです。

韓国との歴史問題、特に慰安婦問題に妥協は禁物ということです。 後ろめたいことがないのであれば、韓国の理不尽な要求には「合意済み!」ですませましょう。

河野太郎外務大臣には、毅然とした対応をしてもらいたいと思います。

 

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