前原誠司の経歴と『言うだけ番長』と言われる理由が知りたい

政界が激変しようとしています。 さながら戦国時代の国盗り合戦を見ているようです。

武将同士のかけ引き、巨大な敵に立ち向かう為に、昨日の敵が今日の友になる関係、生き残るために義を捨てることもいとわないなど。

その政変の中の主要人物の一人が、前原誠司民進党代表です。

今回は、前原誠司議員の経歴を確認しつつ、有り難くないあだ名『言うだけ番長』について調べてみます。

Sponsored Link

前原誠司議員の経歴

前原誠司議員は1962年4月30日、京都市左京区に生まれました。

現在55歳になります。

京都大学を卒業し、松下政経塾で政治を学び、国会議員に初当選したのが1993年で、31歳の時のことでした。

松下政経塾というのは、故・松下幸之助が1979年に設立した政治塾で、未来のリーダーを育てる公益財団法人です。

国会議員の中にも自民党・民進党に関わらず松下政経塾出身者は多く、例えば防衛大臣の小野寺五典や高市早苗、前首相の野田佳彦、民進党を離党して希望の党にいった松原仁など、30~40名近い現国会議員が松下政経塾を卒業しています。


その前年の1992年に行われた参議院議員選挙では、日本新党から出馬した小池百合子氏を応援し、共に闘いました。 1952年生まれの小池百合子氏ですので、前原誠司議員とは10歳の年の差で、姉と弟のような関係だったといえます。

このおよそ25年前の関係が根底にあって、まさに今回の急展開の共闘関係につながっているのでしょう。

   『都民ファーストの会が取材制限(規制)?

 

「言うだけ番長」の語源は?

「言うだけ番長」とは、言葉ばかりで実行力がない人や結果が伴わない人を、漫画の『夕やけ番長』をもじって表現した言葉です。

『夕やけ番長』は、梶原一騎原作の漫画で、1967年に描かれた作品です。

「言うだけ番長」は、産経新聞社による造語で、前原誠司・民主党政調会長(当時)を揶揄したもの

と、新語時事用語辞典には書いてあります。

 

実はこの言葉、もっと昔に使った人がいます。

それは、元プロレスラーで、現在は各種の格闘技イベントをプロデュースする前田日明です。

彼が以前プロレスラーだった頃、遺恨のあった長州力に対して、「俺は、夕焼け番長という漫画が好きだったけど、(長州は)言うだけ番長だな」と揶揄しました。

これはプロレスファンの間では結構有名な話で、40歳代以上のプロレスファンなら、記憶に残っている人も多いはずです。

何を隠そう、私も昔プロレスファンだったので、よく覚えている話です。

 

そう考えると、もしかするとこの記事を書いた産経新聞の記者がまさにドンピシャリの世代かもしれません。

その当時の前田日明の言葉を記憶していて、ちょうど良いタイミングとばかりに、『言うだけ番長』という言葉を使用した可能性があります。

 

Sponsored Link

なぜ前原誠司が「言うだけ番長」

2011年9月29日、産経新聞にこんな記事が載りました。

 

 

この当時は、民主党が政権をとって2年が経っていたころで、政府に対する批判が保守陣営から噴出していた時期でした。

当時、民主党の政調会長は前原誠司議員であり、党の政策面を立案する責任者でした。

そんな中、先ほど紹介した記事が掲載されたのです。 産経新聞はこれらの根拠をあげて、前原誠司議員が『言うだけ番長』であると掲載したのです。

それ以降も、度々この『言うだけ番長』の言葉が産経新聞の紙面に載り、2012年2月に事件(?)が起こります。

   『新聞の「押し紙」とは何か?

 

怒った前原誠司がとった行動

この産経新聞の記事に対して、前原誠司議員は怒りをどういった行動に表したと思いますか?

何と記者会見において、産経新聞の記者に対し退席を求めたのです。 更に、民主党の政策調査会の出入りも認めないと通告しました。

理由は、

「人を貶めるための悪口、ペンの暴力の類が続き、受容限度を超えた」

という前原議員の弁でした。

前原議員のこの行為は、産経新聞以外のマスメディアからも非難を浴びます。 結局、数日後の記者会見で前原議員は、産経新聞記者の出席を黙認することになりました。

現在の政局は、「見てみろ!俺は『言うだけ番長』じゃない」とばかりに、思い切った行動に出た前原議員が小池都知事と仕掛けた政局なのかもしれませんが、もう一波乱ありそうな雰囲気です。

 

【関連記事】⇒『石破茂と小池百合子の関係は?

 

Sponsored Link

SNSでもご購読できます。

関連コンテンツ

コメントを残す

*