硫黄島・遺骨収集の進展には、滑走路をはがすことが必須

硫黄島の遺骨収集の現状を知っていますか?

遺骨というのは、1945年2月から3月にかけておこなわれた硫黄島での米軍との戦いで、亡くなられた方々のものです。

硫黄島には、終戦から70年以上たった今でも、すべての遺骨が収集されていないという現実があります。

硫黄島と書いて「いおうとう」

硫黄島は、その名前の通り、島のいたるところで硫黄成分が産出される土地です。

硫黄からは、硫酸が製造され、また黒色火薬の原料でもあり、昭和20年代には、『黄色いダイヤ』と呼ばれるくらい高騰した鉱物でした。

硫黄島2

硫黄島の住所は、東京都小笠原村硫黄島。

硫黄島と書いて、読み方は「いおうとう」です。 同じく鹿児島県にも硫黄島がありますが、こちらは「いおうじま」と読みます。

 

硫黄島は、1543年スペインの戦艦によって発見されました。 それから300年以上の時を経て、1876年に正式に日本の領土となります。

第二次世界大戦前の硫黄島には、1000人を超える住民が暮らし、小学校もありました。

 

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映画「硫黄島からの手紙」

硫黄島が世間一般に知られるようになった一つのきっかけは、2006年に俳優のクリント・イーストウッドが監督をつとめた映画「硫黄島(いおうじま)からの手紙」によるところが大きいかと思います。

硫黄島4

この映画は、硫黄島の戦いを日米双方から描いた映画作品の一つで、アメリカの立場から描いた作品は、「父親たちの星条旗」という映画です。

 

硫黄島の戦い

大東亜戦争末期の1945年2月19日~3月26日に、この硫黄島で日米による激しい戦闘が行われました。 日本兵の死者は2万人を超え、米国兵の死傷者は2万8千人以上(死者:約7千人)という凄まじい戦闘が、展開されました。

その硫黄島の日本陸軍小笠原兵団長が、栗林忠道中将(玉砕前の決別電報により大将に昇進)です。

栗林中将

数日間で硫黄島を落とせるとふんでいた米国に対して、栗林中将は、堅牢な地下陣地を構築することや、不用意な万歳突撃を禁じることで徹底抗戦をし、絶対的な制海権と制空権で圧倒的な戦力の米国に、甚大な被害と1ヵ月以上にわたる戦いを強いたのでした。

最後は、圧倒的な戦力の違いから、ほぼ全滅に近い状態で栗林中将率いる日本軍は破れ去りました。

 

その後、硫黄島を占領した米国は、滑走路を整備し日本本土への空襲を活発化させ、やがて終戦となるわけです。

 

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硫黄島 遺骨収集

1968年に米国より返還された硫黄島の遺骨収集作業は、それ以降本格化しますが、現時点で収集されたご遺骨は、約1万400人分にすぎません。 硫黄島には現在も約1万1500人分のご遺骨が埋もれています。

厚生労働省が発表している硫黄島における遺骨収集の現状は以下の通りです。

○戦没者概数:21,900人  ○収容遺骨概数:10,350柱  ○未収容遺骨概数:11,550柱 (2014年9月16日現在)

 

なかなか進まない大きな理由としては、滑走路の存在があります。 米軍が整備した滑走路は、日本に返還後も継続して海上自衛隊の滑走路として使用されています。

実は、その滑走路の下に多くのご遺骨が眠っていると考えられるのです。 大きな政治的力が働かない限り、そのご遺骨をどうすることもできません。

 

そして、2013年に第二次安倍内閣において、やっと政治が動きました。 生命をかけて愛する日本を護って下さったすべての英霊の方々に、日本本土に帰っていただく為に、滑走路移設が計画されたのです。

硫黄島 硫黄島3

詳細は、以下をご覧ください。

平成26年度以降の硫黄島に係る遺骨収集帰還の取組方針

 

今年の10月に、第6回硫黄島に係る遺骨収集帰還推進に関する関係省庁会議が開かれ、現在の取組状況や来年にむけての報告がなされました。 『硫黄島に係る遺骨収集帰還の取組み状況について

 

敗戦からまもなく70年。 1日でも早く、英霊の方々が日本本土への帰還がなされますように。

祈り

 

【関連記事】⇒『硫黄島の戦いから70年 ~ 固い握手の先に…。

 

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