天満宮・菅原道真は、なぜ学問の神様なのでしょう?

遣唐使を廃止したのが菅原道真と聞き、たしかそんなことを学生時代に教わったなぁと思い出しましたが、菅原道真といえば、やはり“学問の神様”です。 (894年:遣唐使廃止)

 

菅原道真って、何で学問の神様なんだろう?

どんな人だったっけ?と思い、ちょっと調べてみました。

 

菅原道真の経歴

生誕が845年で、亡くなったのが903年、平安時代前期の人物です。

幼少より和歌を詠み、11歳の時には漢詩も作るようになり、神童と呼ばれていました。 その後も勉学に励み、難しい試験にも合格し、学者として最高位の文章博士(もんじょうはかせ)になります。

学者出身の政治家として卓越した手腕を発揮した菅原道真は、異例の出世を重ね、あまり身分が高くない生まれながら、最終的には右大臣に任命され、従二位を授けられるに至りました。

しかし、この時同時に従二位に昇進した藤原時平を始め、有力者達のあいだには、急速に道真への妬みや不満が広がっていきます。 やがて、藤原時平の策略によって無実の罪を着せられ、大宰府に左遷させられた2年後、波乱の生涯を閉じられました。

 

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菅原道真の死後

道真の死後まもなく、藤原時平が39歳の若さで亡くなり、京の都でも災厄や落雷などが相次ぎおこります。 やがて、それらの現象は、「道真の祟りに違いない」 と恐れられるようになります。

その霊を鎮めるために、北野天満宮や天神様(雷神)が建立されるようになりました。

北野天満宮

時が流れ、祟りや災害の記憶が忘れ去られていくと、道真が元々は優れた学者であり、文人であったという事績が評価され、“学問の神”として現代に至るまで、信仰されるようになっていきました。

この辺が、通説のようです。

現在、天神信仰の神社は、全国に1万社以上建てられています。

 

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