遣唐使の廃止の理由あれこれ

遣唐使廃止

“菅原道真”続きで、遣唐使の廃止について書いてみます。

 

寛永6年(894年):遣唐使廃止

「白紙(894)に戻す遣唐使」で有名ですね。

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一般的にいわれている廃止の理由内容は、

○唐の争乱・国力の衰退

○新羅との関係悪化

○航海の危険性

○財政の困難

この時代、唐は異民族の侵攻により、やっと存続している状況であり、文化面でも退廃が顕著でした。

日本と新羅との関係が悪化し、朝鮮半島の沿岸を航行することができなくなり、南シナ海横断ルートへ変更することで、航行の危険が増します。

航行技術の問題もあり、遭難・難破も相次ぎます。

遣唐使船2

得るものより失うものが多いという考えの菅原道真(遣唐大使)の建議により、いったん停止され、そのまま年月の経過と唐の滅亡により、廃止となりました。

 

他の理由は?

他に理由はなかったのでしょうか?

日本と唐の文化はすでに同等であり、学ぶべきものはなくなったから、ということも言われています。

他には、自分(道真)が行きたくなかったから、なんていうのもありますが、ちょっと眉つば(?)。

公船(遣唐使)を使うより、海商(海上貿易や海上輸送で経済活動する商人)を利用した方が有効と判断したから。

なるほど、これは頷けます。

 

これも改革の一つなのかもしれませんが、改革を行うという事は、改革前の既得権益を持っている人にとっては許しがたいものがあります。

その後も昇進を続け、改革を行った道真は、有力貴族にとって目の上のタンコブになっていったのでしょう。

 

【関連記事】 『天満宮・菅原道真は、なぜ学問の神様なのでしょう?

 

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