乃木大将が学習院院長に就任 昭和天皇へ与えた影響

 

乃木大将は、明治天皇より、明治40年に学習院院長に任ぜられました。

武人として生きてきた乃木大将がなぜ、
華族の子弟を教育する学習院の院長を任されたのでしょうか。

 

それは、明治天皇の絶大なる信頼によるものでした。

明治天皇

 

後の昭和天皇をはじめ、
明治天皇の3人の皇孫が近く入学される時期でもありました。

 

任命の際、乃木大将は明治天皇から御製を賜っています。

 

いさをある人を教のおやにして おほしたてなむ やまとなでしこ

 

いさを(功)は、功績・手柄という意味ですので、
いさをある人=乃木大将 です。

おほしたつは、育てる・養育するの意。

やまとなでしこは女性という意味だけではなく、
撫子には、愛しい子・可愛がっている子という意味もあるので、

ここでは、明治天皇の皇孫を含む学習院の子供達のことになります。

 

乃木大将は以前にも明治天皇から御製を賜っているので、
今回は2度目になります。

 

このように、臣下として2度にわたって御製を賜ったのは異例のことです。
こんなところにも、明治天皇の乃木大将への寵遇がうかがわれます。

 

乃木神社

 

昭和天皇は晩年、

ご自身の人格形成に最も影響を与えた人物は、
乃木学習院院長であったと、述懐されています。

 

乃木院長は明治40年1月30日の就任挨拶で、

「兵士を訓練することと諸子を教育することとは勿論同一目的ではない。
がしかし至誠をもって人に接する一事に至りては、
決して変りはないと信じるのである」と語られました。

 

まさに、乃木大将の生きざまそのもの就任挨拶でした。

 

乃木大将は、院長官舎があったにもかかわらず、そこには入居せず、

乃木大将2

 

生徒と同様の寄宿舎にて寝起きを共にします。

4時半起床、寄宿舎の見回りをすませ、朝食は生徒と一緒に取りました。

授業開始後は、各教室の巡視、放課後には剣道の稽古を生徒につけ、

寄宿舎に戻ってからは、生徒が自習する時間帯に合わせ、
読書に勤しみました。

 

率先垂範を絵に描いたような生活ぶりだったようです。

 

乃木大将が学習院院長を務めたのは、
明治天皇崩御に伴い自刃した大正元年9月までのおよそ5年半にわたりました。

 

乃木大将の祥月命日9月13日

 

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