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柔道・野村忠宏が引退 オリンピック3連覇の偉業は、この試合から始まった

 

2015年8月29日、
40歳になる野村忠宏が柔道選手を引退しました。

 

本当に凄い選手でした。
ワクワク感を持って観戦できる選手って、なかなかいないです。

 

野村忠宏4

 

 

1996年、アトランタオリンピックに出場したのが、
22歳の天理大学4年生の時でした。

 

野村選手は、世界の舞台ではまだ無名にちかく、

この大会での日本男子別階級では、
小川直也、吉田秀彦、古賀稔彦、中村三兄弟(佳央、行成、兼三)と、
世界チャンピョンがズラリと揃い、そうそうたるメンバーでした。

女子では、柔(やわら)ちゃんこと田村亮子選手も出場していました。

 

無名とはいえ
“ 柔道王国日本 ” の代表という重圧をうけての戦いです。

 

 

そんな野村選手が、現役生活を振り返って、
忘れられない試合が、

アトランタオリンピック3回戦のオジェギン(ロシア)戦です。

 

オジェギンへ

 

オジェギン選手は、
前年の1995年世界柔道選手権の60㎏級の金メダリストです。

 

圧倒的なパワーで、次々に技を繰り出し攻めてくるオジェギン選手。

 

野村は、2度の「有効」を取られ、

試合後半のオジェギンの背負い投げでは、
何とか腹ばいになり技をしのぎました。

 

ただ、この辺りくらいから、
オジェギン選手のスタミナがきれ始めます。

 

焦りも見えますが、果敢に攻める野村選手。

試合の一部ですが、動画をご覧ください。

 

アトランタオリンピック柔道男子60㎏級3回戦
野村忠宏vsオジェギン


 

技が速すぎてわからない人のために、

写真でどうぞ。

オジェギンへの投げ オジェギンへの投げ2 オジェギンへの投げ3

 

 

残り14秒、逆転劇がおこりました。

 

いえ、勝負への執念と日頃の鍛錬が、
逆転劇を自らおこしたといえます。

 

野村自身、この時の試合について、

「実戦の中で自分が大きく成長したと実感できたのは、
後にも先にもこの一戦だけだった」

と語っています。

 

それは、どれだけ厳しい状況におかれても、
諦めず前に出て攻め続けるというテーマを、
試合の中で貫き通せたことだったといいます。

 

まさに、この戦いから、
オリンピック3連覇という偉業が始まったと言えます。

 

野村忠宏5

 

最後の逆転劇を生み出したスタミナは、
天理大学柔道部の厳しい練習から生み出されました。

 

柔道には、『乱取り』という試合同様に、
自由に技を掛け合う稽古方法があります。

 

例えば天理大学では、これを6分×12本行います。

通常1試合は5分ですので、それより長く更に12本行うわけです。
スタミナがつかないわけがありません。

 

では誰でも世界に通用するように強くなるのか?

 

野村曰く、

「いつの間にか、強くなる為の練習(乱取り)ではなく、
 練習をこなすための練習になってしまう」

 

あと何分で、あと何本で乱取りが終わると考えながらの練習では、
本当の意味での強さは生まれないということです。

 

1本1本を試合のごとく念頭において取組んでこそ、
真の強者となれると。

 

深いですね。

これは、どんなことにも当てはまる人生の教訓です。

 

 

オリンピック3連覇達成後は、まさに怪我との戦いでした。

右膝前十字靭帯を断裂、右肩・左膝の相次ぐ手術。

 

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10年前に引退しても、
何ら非難されることはない状況下にありながら続けてきた柔道。

野村忠宏

 

野村忠宏の今までの貴重な経験は、指導者として
これからの日本柔道界に良い影響を与えていってくれるでしょう。

 

 

【関連記事】
『古賀稔彦の息子(颯人・玄暉)は、東京オリンピックで活躍できるか』

 

 

【動画あり】 “ 技のデパート ” と呼ばれた力士 舞の海は、身長169㎝体重97㎏の身体で戦った

 

「感謝の念を忘れていないか」

(日常のすべてを)当たり前と思っていないか」

 

舞の海は、土俵を降りた現在でも、
いつも自分にそう言い聞かせています。

 

舞の海2

 

1999年11月場所で引退後、
現在の舞の海の仕事の中心はNHK大相撲解説です。

 

年6場所(15日×6回)の解説と、
各場所ごとに10日くらい前から各部屋を回って取材し(10日×6回)、

それだけでも約150日を費やすことになります。

 

『舞の海は、相撲協会に所属している』と思っている人もいますが、
現役引退と同時に、協会からの籍を外れています。

ですので、NHKでの解説の仕事はあくまで、
『元小結の相撲解説者』として出演しています。

 

 

青森県

相撲が盛んな青森県で生まれ育った舞の海は、
子供の頃から、自然と相撲を取るようになりました。

その頃から周りと比べて小柄だった舞の海は、
高校時代も県大会では三、四番手くらいのレベルでしたが、

高校の先生が日本大学への推薦入学を決めてしまいました。

 

日大相撲部で4年間を過ごし、
4年生の時にはレギュラーを勝ち取ります。

ただ大相撲の世界に身をおく思いは希薄で、
4年の夏には高校教師としての内定をもらっていました。

 

ところが、卒業を2ヶ月前に控えて、
後輩が突然亡くなってしまいます。

体格にも恵まれ、将来を嘱望されていた人物でした。
昼寝中に心臓が止まって、そのまま亡くなってしまったのです。

 

それを機に、人間はいつ死ぬかわからない、
自分が本当にやりたい事に挑戦しようと、

大相撲界への道を決意しました。

 

 

舞の海の入門時のエピソードで有名なのが、
頭にシリコンを入れて、新弟子検査受けたことです。

大相撲入門の当時の条件が、身長173㎝でした。

それに対して、舞の海の身長は169㎝、
4cm足りません。

その時の写真です。

siriko

 

頭皮を剥がし、シリコンの袋を入れる手術は、
4時間かかったといいます。

術後、3日間は眠れず、不整脈となり、
新弟子検査までの1ヶ月間は激痛が続きました。

 

 

何とか新弟子検査に合格した舞の海でしたが、
身体が小さいという現実は変わりません。

 

同じ相撲を取っていたら勝てないので、

半径4m55㎝の土俵をどう使うかということを、
いつも考え抜いていたそうです。

 

ある時は、大学時代の同級生から、

「立ち合いでの変化が中途半端。
ジャンプして相手の後ろに付くくらいの変化をしてみろ」

と言われ、素直にそれを実行したのが、

『八艘(はっそう)跳び』です。

 

舞の海 VS 北勝鬨


 

 

立ち合いから、しゃがみ込んで懐に入る稽古もしました。

 

舞の海 VS 貴ノ花

 

舞の海 VS 琴富士

 

動画をよく見るとわかりますが、

舞の海はしゃがみ込む前に、
一瞬身体を起こしていることがわかります。

 

それによって、貴ノ花も琴富士も
舞の海の胸を押そうと両手を伸ばしています。

そのスキをついて見事に相手の懐に入ることに成功しています。

 

 

曙(横綱になる前)との一戦でも作戦は成功しました。

 

舞の海 VS 曙

 

この時は、曙が吊りにくることを想定し、
内掛けで倒すことも考えていた通り実行しました。

 

身体が小さい分、
本当に頭を使って戦っていたことがわかります。

 

舞の海が勝った時のお客さんの喜ぶ様子が印象的です。

『小よく大を制す』を
目の当たりにしたお客さんの爽快感が伝わってきます。

 

 

今まで紹介した映像も含んでいますが、
どうぞ “ 平成の牛若丸 ” 舞の海の取組みをご覧下さい。

 

【技のデパート】舞の海 好取組集

 

 

にわか(俄)ファンの意味は? その定義と影響力を考えてみた

「にわかファンが…(侮蔑)」と、今日も『にわかファンでない人』からのボヤキが聞こえてきそうです。

 

もうすぐサッカーワールドカップのアジア2次予選が始まりますが、またぞろ『にわかファン』が発生することでしょう。

ファン

かくいう私も国際試合しか観ない『にわかサッカーファン』です。

続きを読む

柔道・古賀稔彦の息子(颯人・玄暉)は、東京オリンピックで活躍できるか

柔道家・古賀稔彦

古賀稔彦(としひこ)といえば、“平成の三四郎” としてあまりにも有名です。

古賀稔彦2

若い世代にとっては、どれ程の知名度なのかわかりませんが。

古賀の得意技の一本背負投は、その切れ味は超一級品で、観戦している者に爽快感を味わわせてくれました。

古賀稔彦の柔道ハイライトの7分程の動画がありますが、古賀の技を警戒して、完全に腰を引いている相手に対しても、一本背負いを決めています。

古賀稔彦3

 

 

4:00頃の小内巻き込みは、古賀の一本背負いを極度に警戒している相手には、心地よく決まりましたが、改正された現在のルールでは、禁止技として反則負けになってしまいます。

新IJF(国際柔道連盟)試合審判規定より

帯より下への手や腕による直接の攻撃が禁止された為です。

 

話がちょっと横道にそれますが、昨年、乃木大将の祥月命日の9月13日に乃木神社に行った時に、『有名人絵灯籠』がありました。その中に、古賀稔彦の作品を見つけました。

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乃木希典大将を尊敬する私にとって、平成の三四郎が乃木神社に関わってくれていることが、ちょっと嬉しかったです。

 

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古賀二人の息子

1992年バルセロナオリンピックの金メダリストとして一時代を築いた古賀も現在は、47歳です。古賀には二人の息子がいます。長男の颯人(高校2年)と次男の玄暉(高校1年)です。

今回行われた全国高校選手権大会で、古賀颯人(はやと)は、73キロ級で準優勝に、古賀玄暉(げんき)は、60キロ級で見事優勝に輝きました。

古賀兄弟

長男の古賀颯人は昨年に続いての準優勝ということで、悔しさもあると思います。 昨年の決勝は、超高校生といわれる阿部一二三との対戦でした。

 

第36回全国高等学校柔道選手権大会 73キロ級決勝

 

弟の玄暉のスタイルの方が、お父さんの稔彦に似ているような気がします。

第37回全国高等学校柔道選手権大会 60キロ級決勝 古賀玄暉

それでも兄弟そろっての活躍は見事なものです。俄然、東京オリンピックでの兄弟の勇姿が期待されます。

これからの練習量・質が問われてくると思いますので、兄弟、切磋琢磨して上を目指してほしいです。

 

 

【関連記事】⇒『小川直也の息子・雄勢の東京OP出場は?

野村忠宏 OP3連覇の偉業は、この試合から始まった

 

 

宇良和輝の強さは大相撲で通用するか? アクロバット相撲(動画あり) n

相撲界に新星・宇良和輝

とても面白い力士が誕生しそうです。彼の名前は、宇良和輝(うら かずき)。

宇良3

2月12日、木瀬部屋への入門会見を開きました。

宇良和輝は、1992年6月22日生まれの22歳、大阪府寝屋川市出身で、現在は関西学院大学の4年生です。

彼のどこが面白いのか?

“百聞は一見にしかず”

まず、以下の動画をどうぞ。

 

動画で見る宇良和輝

第89回全国学生相撲選手権大会 撞木反り(『居反り』かと思います)

 

第51回全国選抜大学実業団対抗和歌山大会

居反り

第91回全国学生相撲選手権大会

宇良和輝 VS 石橋広暉

天皇杯第62回全日本相撲選手権大会①

天皇杯第62回全日本相撲選手権大会②

 

どうでしょう?  小兵ながら豪快な技の連続です。

 

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力士としての可能性

宇良和輝は、4歳から相撲を始めましたが、小学3年生からはレスリングも習い始めました。その影響で、ご覧のように強靭な足腰と豪快な投げ技を相撲の取組みにも生かせるようになりました。

宇良

身長は現在172㎝。22歳という年齢を考えれば、もう伸びることはないでしょう。

過去の比較的小さな横綱で見てみると、大横綱・千代の富士は、183㎝、北勝海は、181㎝、三代目の若乃花(花田)は180㎝と、他の力士から比べると小さくとも180㎝は超えていました。

以前、“技のデパート”として活躍した舞の海は、身長170㎝でした。現役の力士では、豊ノ島が168㎝です。

角界入りしてからは、当然今までとは比べものにならないくらいの強者が、対戦相手になります。

 

この取り組みのように、どっしり構えられて、両まわしを取られ潰されてしまうと、手も足も出ないということになってしまいます。

彼の現在の体重は、107㎏なので、もう少し体重は増やしていくのではないでしょうか。腕(かいな)力をつけて、懐に飛び込む取組みも必要かと思います。

入門会見

木瀬親方は現役時代、肥後ノ海として活躍し、最高位は前頭筆頭でした。

親方の方針が、力士の自主性に任せて、のびのびと過ごさせるという事なので、宇良和輝の個性を充分に発揮できる環境となるかもしれません。

 

昨年の全国学生個人体重別選手権で無差別級3位。「難しいと思うが、2年で関取に昇進する高い目標を掲げてやっていきたい」と語っているので、来年度からの活躍に期待したいです。