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山本譲二の弟子 韓国人歌手パク・ジュニョンとは?

韓国人歌手 パク・ジュニョン

日韓関係が最悪といえる状況の中で、韓流ブームは終了したと言っていいでしょう。

そんな中でも、コツコツと地道に活動している韓国人歌手がいます。2012年3月に日本デビューしたパク・ジュニョンです。

パクジュニョン

しかも、K-POPではなく演歌歌手として。

デビュー曲は『愛・ケセラセラ』です。

 

『愛・ケセラセラ』パク・ジュニョン

ハスキーで繊細な歌声ですね。

1982年3月生まれの彼は、今年33歳になります。韓国釜山に生まれ、2002年にダンスグループ『A−ZAX』のメンバーとして韓国でデビューしました。

その後、2005年にはR&Bグループ『THE STORY』の歌手として再出発するも、方向性の違いなどで解散してしまいます。

 

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山本譲二との出会い

2010年知人の紹介で出会ったのが、演歌歌手 山本譲二でした。

2011年には、山本譲二が社長をつとめる“ ジョージ・プロモーション ”の所属歌手となります。

山本譲二は、初めてパク・ジュニョンを見たときの印象を、「彼は何かを持っているなと感じた」と言っています。「彼にはオーラもある。俺が女ならとっくに惚れているよ」とも。

山本&パクジュニョン

パク・ジュニョンは、山本譲二のことを“アボジ”(韓国語で父)と呼んでいます。社長と所属歌手といった以上の関係なのでしょう。

来日時はほとんどしゃべれなかった日本語。歌詞の意味もわかりませんでしたが、今は歌詞の意味をしっかり理解して、情感込めて歌い上げています。

 

2013年に発売したセカンドシングル『チャラ』は、デビュー曲とはまったく違うアップテンポな曲です。

『チャラ』パク・ジュニョン

大学を辞めて歌手の道を選択したパク・ジュニョンが、母国を離れ、日本で日本の心(演歌)をどう表現していくのか、今後に注目です。

 

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箱根駅伝優勝の青山学院大学・原晋監督の手腕

今年2015年の箱根駅伝は、

青山学院大学の総合優勝で幕を閉じました。

箱根駅伝2

 

青山学院大学はここ最近、箱根駅伝には7回連続で出場してはいますが、

決して強豪校というイメージはない大学でした。

 

6年前からの成績を見てみると、

22位(2009年)→8位→9位→5位→8位→5位(2014年)→1位

となっています。

 

1976年に出場してから30年以上、箱根駅伝には出ていません。

何が変わったのでしょうか?

 

 

やはり監督・指導者の影響が大であることに、間違いないでしょう。

青山学院大学率いる監督は、原晋(すすむ)監督です。

原晋監督

1967年3月生まれ、元陸上選手ではありますが、

箱根駅伝の経験者でも青学のOBでもありません。

実業団で活躍するも故障の為、27歳での引退を余儀なくされます。

 

陸上競技を引退してから約10年は、一般の仕事に就きました。

新規事業を立ち上げるための子会社に席をおき、

社員5名から社員100名以上の会社に成長させる手腕を発揮、

その頃の経験が、監督業に大いに役立っていると、原監督は言います。

 

知人からの紹介で、青山学院大学陸上競技部の監督に就任したのは、

2004年でした。

就任当初は、学生達の日常生活に唖然としてしまいます。

 

寮での飲酒や門限破りは当たり前、

朝練を参加自由にしたら出てこないメンバーも

一人や二人ではなかったようです。

原晋監督2

しかし、練習うんぬんよりもまずは規則正しい生活が出来なければ、

強い選手にはなれないという信念があったので、

辛抱強く指導していきました。

 

そうやって、基礎ができたと感じられるようになるのに、

4年くらいかかります。

 

練習では最初、自身が学んだ実業団での練習方法を導入しますが、

なかなかうまくいきません。

そこで、各々レベルに合ったステージがあるのだから、

まずどこを目指しているのか明確にし、

その半歩先を見据えて取組んでいくことにしました。

 

まずは、箱根駅伝に出場できるチームになること、

その次には、シード権(10位以内)をいつも取れるチーム力をつけること、

というように。

 

就任から5年、悲願の箱根駅伝出場を果たすことになります。

青学

 

 

2012年6月の全日本学生駅伝予選会での惨敗が

一つのターニングポイントとなりました。

2012原晋監督インタビュー(青山学院Youtubeチャンネルより)

 

当時の一年生が中心になって練習するようになって、

チームの雰囲気が一変します。

 

今回の箱根を走ったメンバーの中心は、まさにその当時の一年生です。

 

 

現在、原監督は選手達と共に寮生活をおくっています。

そのメリットは少なくありません。

それは、グランド以外での選手の様子を知ることができるからです。

 

出場選手を選ぶ際には、成績・特徴・現在のコンディション等を総合して

判断するわけですが、それにプラスして“監督の第六感”が発揮されます。

今までの経験値で「こいつなら、やってくれる」ということがわかるのも、

寮生活を通して、各選手の性格・気性などを把握しているからでしょう。

 

今年の12月、原監督は、

「たぶん勝つよ。少なくとも往路は優勝できる」

と明言しました。

 

神野ゴール

その優勝のカギを握っていたのが、今回5区を走ったエースの神野選手。

『山の神野』になれ、という原監督の言葉を見事に実践してみせました。

 

 

今回の箱根駅伝優勝により、以前とは比べものにならないくらい、

チームも監督も注目されるでしょう。

 

今後、雑誌の特集記事が組まれ、

単独インタビューが行われることは間違いないでしょうから、

さらに原晋監督の指導力・人間力が、

具体的に知れ渡っていくことになると思います。

 

五行歌とは? 気軽に作った私の作品集

岩崎航(わたる)さんを通して、『五行歌』(ごぎょうか)を知りました。

『五行歌』とは、1957年に、草壁焔太(くさかべ えんた)氏によって考案された自由律定型詩です。

 

五行歌2

 

俳句のように、季語や文字数に制約はなく、五行に収めればOKというもの。 現在、草壁氏が創設した『五行歌の会』という組織があり、全国に100をこえる支部となっています。 

五行歌の会HP

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ハンドフルート練習中。めざすは、「CHILDHOOD」の森光弘

『ハンドフルート』を知っていますか?

両手を組んで息を吹き込み、音を出す楽器(?)です。

ハンドフルート

“手笛”というのが通常耳にする名称でしょうか。

 

“ハンドオカリナ”とも呼ばれているそうですが、
その名前で検索すると、ハンドフルートのサイトが中心に上位表示されます。

ただ、音色自体はオカリナに近いですね。

 

きっかけは忘れましたが、何気なくYouTubeを見ている時に、
偶然目撃しました。

そりゃ、もうビックリ!

彼らの名前は、「CHILDHOOD(チャイルドフッド)」。

ハンドフルート奏者は、森光弘さん、
ピアニストは、臼田圭介さんです。

 

更に、神技!!

2年くらい前だったかと思いますが、早速まねて練習してみました。

 

これ、すぐに音が出る人は出るらしいのですが、
私の場合、なかなか音が出なかったです。

原因は、指と指の間から音が漏れてしまうから。

ハンドフルート2

たしか一週間くらいダメだったような気がします。

もちろん一日何時間も練習していたわけではなく、
主にトイレに入った時だけの練習だったので、仕方ないのかもしれませんが。

 

森光弘さんが、わかり易く説明してくれていますので、
ご関心ある方は、以下をどうぞ。

ハンドフルートの吹き方・音程の変え方

音が出やすい指の組み方がわかったところが、
第一関門突破といった感じです。

次は音階。

 

両手を組んだ空洞の大きさを調節することで、高低を出します。
空洞を大きくすれば音は低くなり、空洞を狭くすれば高くなります。

 

まずは、『チューリップ』を吹けるように頑張ってみました。

でも、“ド~ラ”まで出すのは簡単ではありませんでした。
上記のようなペースでの練習でしたから。

 

ただ、ハンドフルートを練習しようと思ったきっかけは、
「人前で披露できるレベルになりたい」というものだったので、

亀のような歩みではありますが、何とか諦めずに少しずつ練習しています。

 

今とり組んでいる曲は、『ふるさと』です。

ふるさと

高音は何とか出るのですが、低音がいまひとつといった感じです。

 

一番身近なイベントは、クリスマス。
ちょっと頑張って、クリスマスソングでも練習してみようかな。

 

このブログを見て、
「ハンドフルートやっとみようかな」と思った方、
最初、音が出なくても練習すれば必ずできますから、
諦めずにコツコツ頑張ってみて下さい。

 

書家 紫舟の作品に魅了されて

書家 紫舟

最初に紫舟(シシュー)さんを知ったのは、昼のTV番組でした。

その頃は、NHKの大河ドラマで「竜馬伝」(主演:福山雅治)を放映していて、その「竜馬伝」の題字(書道)を書いている人物ということで、その番組には出演されていました。

個人的に私も、小・中・高・成人(2年間)と書道を習っていたので、とても関心を持ってTVを観ていました。

 

作品 鉄のオブジェ

すると、そこに出てきた作品が、『書の鉄のオブジェ』。

こんな感じです。

紫舟3

 

紫舟4

しかもその作成した鉄の文字が作品というわけではなく、メインは、その鉄の書体に光を当てて、そこに映った影が作品というものでした。

凄い!

感動しました。

紫舟2

 

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紫舟 書家までの道のり

紫舟さんは、愛媛県の紙製品の製造が盛んな土地に生まれました。本名は、福崎紫(ふくざき ゆかり)です。

お祖母さんのすすめで書道を習い始めたのが、6歳の時でした。高校卒業まで続けますが、その後は大学進学・就職という流れで、書道とはほとんど関わりませんでした。

しかし、就職し3年間働く中で、このままでいいのかという思いにかられます。アパレルメーカーの広告宣伝担当として、海外での撮影やイベントの大きな仕事を任されていたので、決して仕事にやりがいを感じられなかったといことではないようです。

ふと、「自分の居場所はここではない」とそんな内なる声を感じたそうです。

 

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会社を辞めて、しばらくは「自分はどう生きたいのか」「何が好きなのか」と、自問自答し、最終的な答えは、『書家』という道でした。神戸を拠点にして個展を開き、奈良、そして東京へと活動を展開していきます。

作品展、映画の題字、新聞・雑誌の連載などの仕事をこなしていた彼女が、一躍有名になったのは、やはり「竜馬伝」の題字を担当してからでしょう。

題字を書くにあたって、伝記や小説から、まず坂本竜馬を徹底的に知ることに務めました。次に、主演の福山雅治についても。まず、表現する対象に“寄る”という作業が第一歩となります。

紫舟5

書への思い、夢

文字に感情や表情をつけたい、文字に意思を吹き込みたい、そのために、本質をどうとらえるか、そういった思考の中で、実際のイメージが徐々に湧き上がっていきます。

一つの文字・文章を生み出すのに少なくとも同じ漢字を500種類くらい書き分け、最も思いが伝わる表現をさがします。そういう地道な作業の中で生み出されるのがこういった文字なのでしょう。

紫舟 竜馬伝

彼女の夢の一つは、『ハリウッド映画の題字を書くこと』

ハリウッド映画に漢字を持ち込む?

そうではないようです。

アルファベットで書きたいそうです。「『その字から映画のストーリーが感じられるね』って言われるような作品を創りたい。」ということらしいです。

紫舟 JAPAN

漢字で表現するのも難しいのに、それを英語で。 凡人には、ちょっとイメージできません。

今年の12月に、パリのルーブル美術館で開催される展覧会に、日本代表アーティストとして展示が決定しました。日本国内でも個展が開かれていますので、関心あれば以下をチェックしてみて下さい。

紫舟オフィシャルサイト