にわか(俄)ファンの意味は? その定義と影響力を考えてみた

「にわかファンが…(侮蔑)」と、今日も『にわかファンでない人』からのボヤキが聞こえてきそうです。

 

もうすぐサッカーワールドカップのアジア2次予選が始まりますが、またぞろ『にわかファン』が発生することでしょう。

ファン

かくいう私も国際試合しか観ない『にわかサッカーファン』です。

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オスプレイを導入するメリットが知りたい!   性能はどの程度か?

オスプレイを導入した場合のメリットについて考えていきたいと思います。

オスプレイの事故率は高いのか?』の記事で、危険性についてはある程度、理解できました。

『MV-22』の危険性は少なく、『CV-22』は多少の危険性はありますが、今後更に飛行時間を増やしていく中で、改善が見込めると予想できます。

オスプレイ導入のデメリット

オスプレイデモ

では、メディアやデモ行進をする人達が、オスプレイ導入に強行に反対する理由、デメリットは他に何かあるのでしょうか。

検索サイトで、“ オスプレイ デメリット ” で検索してみました。 1~2ページの20記事くらいを見た結果は、結局指摘しているデメリットの中心は安全性でした。

 

オスプレイ5

「構造的な問題があって まだ未完成な機体である」との指摘も。 ただ、その記事では、“未完成機体”の具体的内容は書いてありませんでした。

“危険度0%” “安全性100%”は、この世の中には存在しません。

他には、「金額が高い」。 たしかにデメリットかもしれませんが、その金額以上の性能があれば、適材適所でオスプレイを配備すれば良いだけのことです。

   『オスプレイを佐賀空港に配備するのはなぜ?

 

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オスプレイ導入のメリット

では、オスプレイの性能と、それを導入するメリットについて、並行して見ていきましょう。

オスプレイは、ヘリコプターの垂直離着陸機能と、固定翼機の長所である飛行の速さや長い距離を飛ぶことができる両者の利点を併せ持った航空機です。

現在配備されているヘリコプター『CH-46』と比較したものが、以下になります。

オスプレイ性能比較

 

注目すべきは、行動半径最大速力でしょう。

『CH-46』が、行動半径140㎞に対して、オスプレイ『MV-22』は何と、600㎞です。 しかも『MV-22』は、空中給油が可能ですので、それを1回行えば、1100㎞も飛ぶことができます。

沖縄から飛び立てば台湾全土はもちろん、北の韓国ソウル、西の上海まで飛んで行けます。

オスプレイ飛行距離

 

更に驚くべきことは、その速度です。

『CH-46』の速度が、270㎞/hに対して、『MV-22』は、520㎞/hと、その速さは約2倍に達します。災害救援・人道支援活動や離島防衛に、その力を発揮するであろうことは、素人でもわかります。

 

実際、2013年11月フィリピンを襲った超大型台風の大災害の時に、普天間基地から飛び立った米軍のオスプレイが、活躍しています。同様に、2015年4月のネパール地震の際にも、米軍は普天間基地からオスプレイ4機を派遣しました。

 

『CH-46』と比べて、行動半径が約4倍で、速さも約2倍、更に貨物の搭載量は約3倍。これほど利点があれば、使う方にとっては言う事はないでしょう。

石垣市に所属する尖閣諸島にも、わずかな土地の整備でオスプレイは離着陸できますので、利用価値も充分です。

   『翁長知事は尖閣問題をどう考えているのか?

オスプレイ2

 

敵対国の脅威・オスプレイ

逆に、日本と敵対もしくは利益がぶつかる関係の国にとっては、日本のオスプレイ導入を阻止したいはずです。 メリットに目をつぶり、デメリットを殊更強調するということは、そういった国の代弁者となっていることだと知る必要があります。

   『翁長知事 中国との関係は深いのか?

 

今回調べた結果、私の現状での認識は、デメリットよりメリットの方が数倍あるという事で、とりあえず落ち着きました。

今後も、オスプレイの動向には注視していきたいと思います。

 

【関連記事】⇒『オスプレイの事故率は高いのか?

      『オスプレイ最新事故率から考えた事

 

オスプレイの事故率は高いのか?  なぜ導入に反対するのでしょうか。

オスプレイを知ろう

オスプレイと聞いた時、何を思い浮かべますか?

テレビを見ていると、「オスプレイ、(導入)反対」や「オスプレイは事故が多い」という話ばかりのような気がします。

オスプレイ

そんなに危険な乗り物なのでしょうか?

こういったことは、マスコミの情報だけで判断するのではなく、ある程度、自分自身で調べて判断する必要があると思います。

まず、公の情報として、防衛省のHPを見てみましょう。

オスプレイ事故率

MV-22』がオスプレイです。

 

オスプレイの事故率

ここでいう事故率というのは、10万飛行時間あたりのクラスA飛行事故の件数から算出した数字です。(※クラスA:被害総額200万ドル以上あるいは、死亡または全身不随に至る障害等を引き起こした場合)

ご覧のように、米軍運用航空機の中でも平均以下の事故率1.93です。

クラスB・Cの事故は、事故率も高いですが、詳細を見てもらえれば、重大な事故ではないことがわかります。

オスプレイ3

クラスCの事故をいくつか上げてみると、以下のレベルのものです。

○スピナードームのネジが落下

○右ナセル作業台から作業員が地上に落下

○地上整備作業中エンジンから出火。負傷者なし

MV-22オスプレイ事故率について(詳細)

 

この表だけを見ると、事故率は決して高くありません。むしろ低い方です。 では、「オスプレイは事故が多い」というのは、嘘なのでしょうか。

 

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オスプレイ「MV」と「CV」

上記の資料の後半部を見てみると、『CV-22』という機種が出てきます。 こちらもオスプレイです。

オスプレイ5

機体構造はほとんど同じですが、任務の違いで仕様が多少異なります。

米空軍使用の『CV-22』は、事故率13.47と、米海兵隊使用の『MV-22』と比べると、事故率は急上昇します。「オスプレイは事故が多い」と主張するメディアは、この数字から結論を出していることがわかります。

嘘ではなかったようです。

 

なぜこんなに事故率が違うのでしょうか?

以下は、防衛省の資料の抜粋です。

CV-22について

 

一番の違いは、その任務の違いにあります。『MV-22』は、輸送機として使用され、『CV-22』は、特殊作戦機として使われています。

『CV-22』が、なぜ事故が多いのかわかりました。ほぼ同機種でありながら、その使用方法がまったく違うからです。激しい訓練と過酷な任務が、その数字に表れているのです。

 

そしてもう一点、防衛省のこの資料は、2012年6月のものですが、『CV-22』はこの時点で、飛行時間がまだ22,266時間しか経っていません。

通常、初期の頃はどの機種でも事故は起こりやすいものです。時間の経過とともに、改良改善・修正・熟練がなされ、事故率も減少していくのが普通です。

オスプレイ4

現に、防衛省が2015年5月に発表した『CV-22』の事故率は、7.21でした。(1月時点での累計飛行時間42,000時間)

  『オスプレイを佐賀空港に配備するのはなぜ?

 

「事故率が高く、危険だから反対」、それはある意味当然です。 では、もしその危険というデメリット以上に、他には代えがたいメリットがあるならば、どうでしょうか?

 

次は、オスプレイを導入するメリットについて、調べてみたいと思います。

  ⇒『オスプレイを導入するメリットが知りたい!

 

【関連記事】⇒『沖縄で事故 オスプレイ最新事故率から考えた事

翁長知事は尖閣問題をどう考えているのか?

 

太平洋・島サミットの重要性は地図を見れば一目瞭然

第7回太平洋・島サミット(2015年)が福島県いわき市で行われました。

首脳記念撮影

<外務省ホームページから引用>

 

加盟国は、日本、オーストラリア、ニュージーランド、キリバス、クック諸島、サモア、ソロモン諸島、ツバル、トンガ、

ナウル、ニウエ、バヌアツ、マーシャル、パラオ、フィジー、パプアニューギニア、ミクロネシアの17ヵ国です。

正直、初めて聞く名前の国もあります。

南太平諸国

3年に一度開かれるこのサミットの重要性は、どこにあるのでしょうか。

外務省のHPでは、このように説明しています。

太平洋・島サミットは、

太平洋島嶼国・地域が直面する様々な問題について、

首脳レベルで率直に意見交換を行うことによって、

緊密な協力関係を構築し、

日本と太平洋島嶼国の絆を強化するために、

1997年から3年に一度開催されている首脳会議です。

 

第1回のサミットは、東京で開催され、その後もすべて日本で開催されています。

 

以下の地図を見て下さい。

 

第一・第二列島線

この第一列島線と第二列島線は、中国共産党の軍事戦略上の概念で、この目標ラインまで覇権を広げようと企てています。

第一列島線は2010年まで、第二列島線は2020年までに、制海権を確保することを目標としています。

 

やや年数はずれ込んでいますが、尖閣諸島での中国共産党の挑発行動を見ればわかるように、確実にその目標達成のために動いていることは明白でしょう。

 

逆さ地図(日本)

中国共産党にとって、太平洋進出のために、台湾と日本(特に沖縄県)がどれだけ邪魔な存在か一目瞭然です。

 

 

そして、第二列島線を越えた先には…、

そう、南太平洋の国々があります。

 

南太平洋地図2

南太平洋地図

 

中国共産党は、フィジーやパプアニューギニアなどへ資金援助をどんどん行っています。

南太平洋の諸国にとっては盟主の立場にあるオーストラリアへの反発もあることから、中国は、徐々にその勢力を拡大中でもあります。

 

もし中国共産党の潜水艦が、この南太平洋を自由に、航行できるようになったなら、日本のシーレーンの安全保障が脅かされる危険性が増します。

親日国家が多いこの地域ですが、オーストラリアへの遠慮から、日本がいつまでも消極的な関わりを続けていると、経済的な事情から南太平洋の諸国も、中国共産党にすり寄らざるを得ません。

南の島

そんな状況下に開かれた今回のサミットの結果をどうぞ。

○サミットを3年に1度の単発行事ではなく、一連のプロセスとして位置付ける

○太平洋島嶼国の将来を担う若い世代を対象に、長期人材育成プログラム「Pacific-LEADS」を立ち上げることを表明

○国際法の原則に基づく海洋秩序の維持の重要性を再確認し、「法の支配」の原則に基づき行動することが重要であることを強調

第7回太平洋・島サミット(結果概要)

 

 

同じ海に生きる大切なパートナーとして、今後も益々、良い関係を築いていけたらいいですね。

  参考資料:日本と太平洋の島国(外務省)

 

 

 

硫黄島の戦いから70年 新藤義孝議員とスノーデン中将の固い握手の先に…。

新藤義孝議員とスノーデン中将

2015年4月28日、米国連邦議会上下両院合同会議で、歴史的な安倍晋太郎首相の演説が行われました。

安倍首相演説

その際、傍聴席に隣同士で座っていたのが、新藤義孝衆議院議員とローレンス・スノーデン氏でした。

以前、硫黄島での遺骨収集の記事を書きましたが、安倍首相が硫黄島を訪問した際、同行していたのが新藤義孝議員です。

硫黄島・遺骨収集の進展には、滑走路をはがすことが必須

新藤&スノーデン

安倍首相演説

以下、安倍首相の演説の一部です。

いまギャラリーに、ローレンス・スノーデン海兵隊中将がお座りです。 70年前の2月、23歳の海兵隊大尉として中隊を率い、硫黄島に上陸した方です。

近年、中将は、硫黄島で開く日米合同の慰霊祭にしばしば参加してこられました。 こう、仰っています。「硫黄島には、勝利を祝うため行ったのではない、行っているのでもない。その厳かなる目的は、双方の戦死者を追悼し、栄誉を称えることだ

もうおひとかた、中将の隣にいるのは、新藤義孝国会議員。 かつて私の内閣で閣僚を務めた方ですが、この方のお祖父さんこそ、勇猛がいまに伝わる栗林忠道大将・硫黄島守備隊司令官でした。

これを歴史の奇跡と呼ばずして、何をそう呼ぶべきでしょう。 熾烈に戦い合った敵は、心の紐帯が結ぶ友になりました。

 

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栗林中将の孫として

安倍首相の演説にも出ているように、新藤義孝議員は、硫黄島の戦いにおいて司令官を務めた栗林忠道中将(玉砕前に大将昇進)の孫にあたります。

栗林中将

新藤姓は、栗林中将の二女・たか子(義孝議員の母)の嫁入り先が新藤家のためです。

栗林たか子の嫁いだ新藤孝衛の父・勝衛は、市議会議員を6期務めた政治家でした。 晩年には、『学校法人 川口ふたば幼稚園』を設立した教育者でもありました。

その両祖父の血を受け継ぎ、新藤義孝衆議院議員の現在があります。

新藤義孝

人間の歴史は、ある一面では争い・戦争の歴史であったといえます。 一個人の先祖をたどっていけば、必ず人を傷つけた人、人から傷つけらた人、双方が存在するでしょう。

一族が滅ぼされたとすれば、そこからの血統は途絶えるわけですので、その一族はこの世の中に存在しなくなります。 そう考えると、今生き残っている多くの人は、滅ぼされた側ではなく、滅ぼした側の血統を受け継いだ人達が多数であるともいえます。

 

そのことを考えれば、反省・謝罪の意を表している人に対して、 “1000年怨む” と言われたら、そういう人とはあまりお付き合いしたくないと思うのが、通常の感覚ではないでしょうか。

壮絶な戦いが展開された硫黄島での戦い。

硫黄島の戦い

時を経て、怒り・怨みを越えて、その双方が歩み寄り、健闘をたたえ合い、未来の結束を誓う姿。 感動と共に、ただのパフォーマンスに終わらせないよう、私達の意識・取組みが問われてきます。

 

最後に、神対応と称される新藤総務大臣(当時)の冷静な記者会見をどうぞ


【関連記事】⇒『硫黄島・遺骨収集の進展には、滑走路をはがすことが必須

 

クリス・ハートの「home」は、なぜ感動するのか? J-POPへの深い思い。

 

歌手のクリス・ハートが、
日本国籍取得を目指しているというニュースがでました。

クリス・ハート2

 

クリス・ハートの歌に、人はなぜ感動するのでしょうか。

そこには、日本への愛情、J-POPへの情熱があるからではないかと思います。

 

 

彼がテレビ出演する以前のエピソードを、
ボイスビルダーの阿部あかねさんが語っています。

 

それは、東北での大震災(2011年)があった直後の話です。

それ以前から、レッスンで阿部さんの所に通っていたクリスでしたが、
多くの外国人が母国に帰っていく中、

阿部さんが「帰らないのか?」と問うと、彼はこう言いました。
「帰らないよ。日本が大変な時だから」

そして一所懸命にレッスンに励んでいたそうです。

VOICELABO☆ビルドアップDIARY(ボイスビルダー阿部あかね)

 

クリス・ハート3

クリス・ハートは、2012年3月に、

日本テレビ『のどじまん ザ! ワールド』に出演、優勝して
注目を浴びた人物です。

 

その際に歌った曲「home」では、
多くのゲストが涙していたのが印象的でした。

クリス・ハート「home」

 

そのおよそ一年後、
2013年4月にはメジャーデビューを果たすことになります。

 

米国サンフランシスコのベイエリア出身のクリス・ハートが、
日本に触れるきっかけは、中学生の時のことでした。

外国語の授業で選択したのが日本語、
13歳の夏休みには茨城県新治村(現土浦市)に、
ホームステイで2週間滞在しました。

その時に接してくれた日本人の優しさに感動したといいます。

 

帰国後も日本を知るにつれてどんどん興味が湧いていきました。

その中心が、J-POPでした。

JPOP

 

もともと、両親がバンドをやっていたので、
家には色々な楽器が置いてあり、音楽は生活の一部でした。

ケーブルTVで日本の音楽番組「HEY!HEY!HEY!」も毎週見ていました。

 

その頃は、歌手になりたいという思いではなく、
純粋に日本に住みたいと思うようになっていきました。

そして、2009年ついに日本への移住を果たします。

来日して最初に就いたのは、自動販売機の営業の仕事でした。

 

仕事をしながらも好きな音楽活動を趣味感覚でしていたクリスは、
youtubeに動画をアップしていましたが、

それがきっかけで現在の奥様である福永瞳さんと出会います。

クリス・ハート4

 

そして、その福永さんとのデート中に銀座で、

NHKのディレクターの街頭インタビューを受け、
その縁から歌番組のTV出演につながっていきました。

 

日本に来て、その文化を知り、
クリスは歌手になりたいという思いが強くなっていきました。

 

彼曰く、日本と米国の音楽の違いは、歌詞にあるそうです。

米国のポップスは、リズムとかっこよさが大事で、
あまり意味のない言葉を使っても問題なし。

J-POPは、言葉やメッセージに込められた歌詞が、
楽曲において重要な位置を占めているので、
歌手の伝え方(歌い方)が大切だといえます。

 

『ゆず』や『コブクロ』の歌に、皆が泣いているのはなぜなのか?

ゆず コブクロ

 

彼は、そこに歌詞の意義があるからだと気付いたのです。

 

 

クリスは言います。

クリス・ハート5

僕には歌うことへの考え方があります。

「言葉」を歌うか、「気持ち」を歌うか。ぼくは気持ちを歌いたい。
きれいな言葉で正しいメロディで歌うだけでなく、
その曲が持っているストーリーを歌いたい。

日本の歌にはそういう曲がとても多くて、益々好きになったんです。

だから日本の歌は自分の歌唱力を自慢するような歌い方より、
歌詞のストーリーを邪魔しないよう
丁寧に歌う方がいいと思っています。

iss国際交流センターHPより引用

 

現在の日本の歌手で、

これだけ日本と日本人を愛し、その文化に敬意を表し、
真心をこめて歌を歌う人がどれだけいるでしょうか。

日本と日本文化に影響を受けた米国人の姿を通して、
学ばされるものがたくさんあることを感じます。

 

最後にプロになってからの「home」をどうぞ。


 

 

パラパラ漫画(振り子)でブレイクした鉄拳の素顔と生い立ち

 

お笑い芸人の鉄拳が、パラパラ漫画『振り子』で注目されたのは、
2012年のことです。

 

パラパラ漫画『振り子』(動画)

振り子 振り子2

その頃の鉄拳は、お笑い芸人としての自分に限界を感じていて、
すでに、所属するよしもとに辞めることを伝えていました。

生まれ故郷の長野に土地も探していて、
帰ってイラストの仕事でもしようと、考えていたそうです。

 

そんな中、パラパラ漫画の企画があり、

別の芸人が出演予定だったものを、
急きょ鉄拳が代役を務めることになりました。

 

その縁がきっかけとなって、
あの『振り子』が生み出されることになったわけです。

 

鉄拳2

 

小学生の頃の夢は、漫画家になること。

高校生から本格的に漫画を描き始めて、少年誌への初投稿で、
1989年の第20回『ちばてつや賞』で期待賞をとりました。

1972年5月生まれの鉄拳ですので、16歳の時のことです。

 

ちなみにその時の作品名は、「サムライBEAT」でした。

鉄拳漫画

 

 

ただその後、急速に漫画家への夢が冷め、
憧れはプロレスラーへと変わっていきます。

高校卒業後に、大仁田厚のFMWに入団したものの、

レフェリー要員として採用されたことに気づき、
半年後には退団します。

 

それから、劇団員を経て(滑舌の悪さから退団)、
お笑いの世界へと進んで行きました。

 

こうやって見てくると、結構簡単に夢をあきらめて、
次のことに挑戦しているように見えます。

 

鉄拳本人も、ふり返って、
「あっさりやめてしまっていた」と言っています。

けれども、お笑い芸人として注目された時のスタイルは、
しっかり過去の経験を生かしています。

 

ザ・ロード・ウォリアーズのメイクはプロレスから、

ロード・ウォリアーズ

 

スケッチブックにイラストを描いてのフリップネタは、
漫画の技術を生かしてというように。

 

 

2012年に放送されたドキュメント番組『情熱大陸』では、
素顔を公開していました。

と思ったら、その1年以上前の2011年に、
小堺一機の『ライオンのごきげんよう』で素顔をあかしていましたね。

鉄拳素顔

 

 

『振り子』が注目されてからは、
次々にパラパラ漫画の依頼が入ってくるようになり、

いつの間にか芸人を辞めるという話も自然消滅していました。

 

当初、一作品あたり2ヵ月かかっていたパラパラ漫画も、
今では、作品によって、
2週間程度に短縮できるようになりました。
たくさんのオファーがあるため、やむを得ない部分もあるようです。

 

1分間の作品におよそ360枚の原稿が必要(6コマ/秒)で、
通常プロモーションビデオは、4分前後の長さのため、

修正分の原稿も含めると、
一作品あたり1,500~2,000枚の原稿を描くことになります。

 

すべて手描き制作のため、一日長い時で16時間描くこともあります。

 

鉄拳3

気がつけば、廻り廻って、
子供の頃になりたかった漫画家になったともいえます。

人生って、わからないものですね。

 

小学3年生の時にお母さんを癌で亡くしたことは、
鉄拳の人生にどれだけ影響があったかはわかりませんが、

『振り子』は自分の両親をモデルに作られているそうです。

 

天国のお母さんも喜ばれていることでしょう。