東京都に硫黄島(いおうとう)という島があります。
「硫黄島には観光で行けるの?」というネットの書きこみがあったので、調べてみました。
硫黄島での戦い
硫黄島といえば、第二次世界大戦末期の1945年2月19日から3月26日にかけて、米軍との激しい戦いが繰り広げられた島です。 日本軍の戦死者は2万名を超えました。 続きを読む
東京都に硫黄島(いおうとう)という島があります。
「硫黄島には観光で行けるの?」というネットの書きこみがあったので、調べてみました。
硫黄島といえば、第二次世界大戦末期の1945年2月19日から3月26日にかけて、米軍との激しい戦いが繰り広げられた島です。 日本軍の戦死者は2万名を超えました。 続きを読む
乃木大将は、明治天皇より、明治40年に学習院院長に任ぜられました。
武人として生きてきた乃木大将がなぜ、
華族の子弟を教育する学習院の院長を任されたのでしょうか。
それは、明治天皇の絶大なる信頼によるものでした。
後の昭和天皇をはじめ、
明治天皇の3人の皇孫が近く入学される時期でもありました。
任命の際、乃木大将は明治天皇から御製を賜っています。
“ いさをある人を教のおやにして おほしたてなむ やまとなでしこ ”
いさを(功)は、功績・手柄という意味ですので、
いさをある人=乃木大将 です。
おほしたつは、育てる・養育するの意。
やまとなでしこは女性という意味だけではなく、
撫子には、愛しい子・可愛がっている子という意味もあるので、
ここでは、明治天皇の皇孫を含む学習院の子供達のことになります。
乃木大将は以前にも明治天皇から御製を賜っているので、
今回は2度目になります。
このように、臣下として2度にわたって御製を賜ったのは異例のことです。
こんなところにも、明治天皇の乃木大将への寵遇がうかがわれます。
昭和天皇は晩年、
ご自身の人格形成に最も影響を与えた人物は、
乃木学習院院長であったと、述懐されています。
乃木院長は明治40年1月30日の就任挨拶で、
「兵士を訓練することと諸子を教育することとは勿論同一目的ではない。
がしかし至誠をもって人に接する一事に至りては、
決して変りはないと信じるのである」と語られました。
まさに、乃木大将の生きざまそのもの就任挨拶でした。
乃木大将は、院長官舎があったにもかかわらず、そこには入居せず、
生徒と同様の寄宿舎にて寝起きを共にします。
4時半起床、寄宿舎の見回りをすませ、朝食は生徒と一緒に取りました。
授業開始後は、各教室の巡視、放課後には剣道の稽古を生徒につけ、
寄宿舎に戻ってからは、生徒が自習する時間帯に合わせ、
読書に勤しみました。
率先垂範を絵に描いたような生活ぶりだったようです。
乃木大将が学習院院長を務めたのは、
明治天皇崩御に伴い自刃した大正元年9月までのおよそ5年半にわたりました。
硫黄島の遺骨収集の現状を知っていますか?
遺骨というのは、1945年2月から3月にかけておこなわれた硫黄島での米軍との戦いで、亡くなられた方々のものです。
硫黄島には、終戦から70年以上たった今でも、すべての遺骨が収集されていないという現実があります。
“菅原道真”続きで、遣唐使の廃止について書いてみます。
寛永6年(894年):遣唐使廃止
「白紙(894)に戻す遣唐使」で有名ですね。
一般的にいわれている廃止の理由内容は、
○唐の争乱・国力の衰退
○新羅との関係悪化
○航海の危険性
○財政の困難
この時代、唐は異民族の侵攻により、やっと存続している状況であり、文化面でも退廃が顕著でした。
日本と新羅との関係が悪化し、朝鮮半島の沿岸を航行することができなくなり、南シナ海横断ルートへ変更することで、航行の危険が増します。
航行技術の問題もあり、遭難・難破も相次ぎます。
得るものより失うものが多いという考えの菅原道真(遣唐大使)の建議により、いったん停止され、そのまま年月の経過と唐の滅亡により、廃止となりました。
他に理由はなかったのでしょうか?
日本と唐の文化はすでに同等であり、学ぶべきものはなくなったから、ということも言われています。
他には、自分(道真)が行きたくなかったから、なんていうのもありますが、ちょっと眉つば(?)。
公船(遣唐使)を使うより、海商(海上貿易や海上輸送で経済活動する商人)を利用した方が有効と判断したから。
なるほど、これは頷けます。
これも改革の一つなのかもしれませんが、改革を行うという事は、改革前の既得権益を持っている人にとっては許しがたいものがあります。
その後も昇進を続け、改革を行った道真は、有力貴族にとって目の上のタンコブになっていったのでしょう。
【関連記事】 『天満宮・菅原道真は、なぜ学問の神様なのでしょう?』
遣唐使を廃止したのが菅原道真と聞き、たしかそんなことを学生時代に教わったなぁと思い出しましたが、菅原道真といえば、やはり“学問の神様”です。 (894年:遣唐使廃止)
菅原道真って、何で学問の神様なんだろう?
どんな人だったっけ?と思い、ちょっと調べてみました。 続きを読む
あと10日あまりで乃木希典大将の祥月命日です。
東京の赤坂にある乃木神社は、
乃木ご夫妻がお住まいになっていた旧邸宅の跡地の横に建てられた神社です。
乃木大将は、明治天皇の大葬が行われた当日夜に、ご夫婦で自刃されました。
通常、邸宅は周りから観ることしかできませんが、
毎年9月12日・13日の2日間は、邸宅内に入ることができます。
ただ現在、東日本大震災の影響により、瓦や壁などが損傷してしまったため、
一般公開は中止になっています。
本年度(26年度)耐震工事を行い、平成27年に一般公開が再開される予定です。
※平成27年5月中旬以降に工事完成予定。
その後、一定期間、特別公開を実施予定
戦後、学校教育では日本の偉人を教えることが、ほとんどなくなりました。
そのため、乃木大将の名前は知っていたとしても、
その偉業や人柄まで知っている人は少ないのではないでしょうか。
私も以前はそうでした。
私が乃木大将のことをよく知るようになったのは、
ある講演会で講師の話を聞き、その著書を読んでからです。
それから毎年9月13日(または前後)には、お参りをさせて頂いています。
今年も、まもなくその日がやって来ます。
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