「感謝の念を忘れていないか」
「(日常のすべてを)当たり前と思っていないか」
舞の海は、土俵を降りた現在でも、
いつも自分にそう言い聞かせています。
1999年11月場所で引退後、
現在の舞の海の仕事の中心はNHK大相撲解説です。
年6場所(15日×6回)の解説と、
各場所ごとに10日くらい前から各部屋を回って取材し(10日×6回)、
それだけでも約150日を費やすことになります。
『舞の海は、相撲協会に所属している』と思っている人もいますが、
現役引退と同時に、協会からの籍を外れています。
ですので、NHKでの解説の仕事はあくまで、
『元小結の相撲解説者』として出演しています。
相撲が盛んな青森県で生まれ育った舞の海は、
子供の頃から、自然と相撲を取るようになりました。
その頃から周りと比べて小柄だった舞の海は、
高校時代も県大会では三、四番手くらいのレベルでしたが、
高校の先生が日本大学への推薦入学を決めてしまいました。
日大相撲部で4年間を過ごし、
4年生の時にはレギュラーを勝ち取ります。
ただ大相撲の世界に身をおく思いは希薄で、
4年の夏には高校教師としての内定をもらっていました。
ところが、卒業を2ヶ月前に控えて、
後輩が突然亡くなってしまいます。
体格にも恵まれ、将来を嘱望されていた人物でした。
昼寝中に心臓が止まって、そのまま亡くなってしまったのです。
それを機に、人間はいつ死ぬかわからない、
自分が本当にやりたい事に挑戦しようと、
大相撲界への道を決意しました。
舞の海の入門時のエピソードで有名なのが、
頭にシリコンを入れて、新弟子検査受けたことです。
大相撲入門の当時の条件が、身長173㎝でした。
それに対して、舞の海の身長は169㎝、
4cm足りません。
その時の写真です。
頭皮を剥がし、シリコンの袋を入れる手術は、
4時間かかったといいます。
術後、3日間は眠れず、不整脈となり、
新弟子検査までの1ヶ月間は激痛が続きました。
何とか新弟子検査に合格した舞の海でしたが、
身体が小さいという現実は変わりません。
同じ相撲を取っていたら勝てないので、
半径4m55㎝の土俵をどう使うかということを、
いつも考え抜いていたそうです。
ある時は、大学時代の同級生から、
「立ち合いでの変化が中途半端。
ジャンプして相手の後ろに付くくらいの変化をしてみろ」
と言われ、素直にそれを実行したのが、
『八艘(はっそう)跳び』です。
舞の海 VS 北勝鬨
立ち合いから、しゃがみ込んで懐に入る稽古もしました。
舞の海 VS 貴ノ花
舞の海 VS 琴富士
動画をよく見るとわかりますが、
舞の海はしゃがみ込む前に、
一瞬身体を起こしていることがわかります。
それによって、貴ノ花も琴富士も
舞の海の胸を押そうと両手を伸ばしています。
そのスキをついて見事に相手の懐に入ることに成功しています。
曙(横綱になる前)との一戦でも作戦は成功しました。
舞の海 VS 曙
この時は、曙が吊りにくることを想定し、
内掛けで倒すことも考えていた通り実行しました。
身体が小さい分、
本当に頭を使って戦っていたことがわかります。
舞の海が勝った時のお客さんの喜ぶ様子が印象的です。
『小よく大を制す』を
目の当たりにしたお客さんの爽快感が伝わってきます。
今まで紹介した映像も含んでいますが、
どうぞ “ 平成の牛若丸 ” 舞の海の取組みをご覧下さい。
【技のデパート】舞の海 好取組集
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