話題の人

Sponsored Link

Sponsored Link

中井りんと村田夏南子の対戦予想 n

中井りん VS 村田夏南子戦

年末まで残りわずかになってきました。 中井りんと村田夏南子の対戦は、12月29日にRIZIN(ライジン)の大会で行われます。



先日は、中井りんの公開練習の様子が報じられていました。

続きを読む

中井りんの戦績は?(デビュー動画あり) UFC以外で10年間負けなし

中井りんデビュー

年末のRIZIN(ライジン)への参戦が決まった中井りんの戦績を調べてみました。

中井りんがプロデビューしたのは2006年、19歳の時でした。 デビュー戦の相手は伊藤あすかで、この時は中井りんのパンチにより、伊藤あすかが鼻骨を負傷し、TKOで勝利を飾っています。

続きを読む

石破茂が総理大臣になれる可能性はあるか? 世論調査とネットの声との違い

今回、取り上げる話題は『石破茂は総理大臣になれるか?』です。

2016年10月19日、自民党の役員会で総裁任期を2期(1期は3年)から見なおすことを決定しました。 総裁任期を3期9年とする方針で、来年3月の定期党大会で党則を改正する予定になっています。


現在、総理大臣であると同時に、自民党の総裁である安倍自民党総裁の任期は、2018年9月までです。 

改正前であれば次回の総裁選には立候補できなかったわけですが、今回改正がなされれば、3期目も総裁を務めることが可能になります。

もちろん総裁を決める選挙をするのですから、立候補しても別の候補に負ける可能性もあります。

 

%e7%9f%b3%e7%a0%b4%e8%8c%82

この自民党総裁任期の改正(予定)で、一番割に合わないという思いを持ったのは、間違いなく石破茂議員だったはずです。

「あと1年10ヶ月で安倍総裁の任期が終わる。次こそは世論も自分に味方するはず…」と思っていたでしょうから。

続きを読む

稲田朋美防衛大臣泣くも、2016年靖国神社参拝を済ませていた n

終戦記念日の靖国参拝

8月15日の終戦記念日から、すでに2ヵ月以上が過ぎました。 今国会で、稲田朋美防衛大臣が、野党からの集中砲火を浴びてから、だいぶ落ち着いた感はあります。

終戦から70年以上が経っているのに、閣僚が靖国神社参拝を行うと、マスコミが群がり「公人、私人いづれの参拝か?」と質問する姿は滑稽であり、悪しき夏の風物詩となっています。

2013年、当時の総務大臣を務めていた新藤義孝議員は記者会見の際に、素晴らしい対応をされました。(質問者は朝日新聞のイトウ氏です)


新藤義孝議員は、硫黄島の戦いで有名な栗林中将の孫にあたる人物です。

  『硫黄島の戦いから70年~

 

Sponsored Link

稲田議員 靖国参拝せず

今年の終戦記念日に、稲田朋美防衛大臣が靖国神社参拝をせず、自衛隊が駐留するアフリカ東部ジブチを訪問したニュースが、TVや雑誌で大きく取り上げられたのは記憶に新しいところです。

国会では辻元清美議員が先頭に立ってそのことを指摘し、稲田大臣が涙ぐむ場面もありました。  『辻元議員の国会質問で考えたこと

【時事ニュース】

防衛省は12日、稲田朋美防衛相が13~16日の日程でアフリカ北東部のジブチを訪問し、自衛隊の派遣部隊を視察すると発表した。 これにより、稲田氏は15日の終戦記念日に合わせた靖国神社の参拝を行わない。

靖國神社

変人と呼ばれた小泉純一郎元首相は、首相在任(2001年4月~)5年5ヶ月の間、6度の靖国神社参拝を行いました。 その間、中国の反発にあい日中首脳会談はなかなか行われませんでした。

世界的には、2001年に米国における同時多発テロがおこり、その流れもあり2003年にはイラク戦争がおこっています。 米国が日中間の問題にかまっている暇がなかったといえる時期でもあります。 そんな米国の国内事情もあり、当時の米国大統領ブッシュ(Jr)と小泉首相の関係は、とても良好でした。

米国がとやかく言ってくる環境にないということは、今後、首相が靖国参拝を行う上で、重要なポイントになります。

%e3%82%ac%e3%83%9f%e3%82%ac%e3%83%9f1

現在の安倍晋三首相は、2006年9月から2007年9月の第一次安倍内閣の時には、靖国参拝ができませんでした。 その無念さもあり、第二次安倍内閣の時の2013年12月26日に、首相として初めて靖国神社に参拝しています。

しかし、中国が世界経済をけん引して、世界への影響力が大きい時期でもあり、その行為は米国からも受け入れられたとはいえない状況でした。 それ以降、安倍首相が靖国参拝を行っていないという事実は、まさに米国からの圧力があるとみるのが自然です。

今回、稲田防衛大臣の靖国神社参拝を回避するために、安倍首相が説得をおこない、ジブチを訪問する策を講じたといえます。

 

Sponsored Link

保守派からの批判

稲田朋美防衛大臣が8月15日の靖国神社参拝をせず、ジブチの自衛隊を視察したことに対しての批判は、保守陣営からも上がっています。

一つは「防衛大臣だからこそ、終戦記念日に靖国参拝すべきだった」というものです。 主張自体は、辻元清美議員が国会で稲田防衛大臣を追求した理由と同じです。(もちろん辻元議員の場合は、批判するための主張なのですが)

「稲田議員には(保守派の国会議員として)期待していたのに、なぜ?」という思いが強い人達で、その気持ちもわかります。

また青山繁晴参議院議員のように、「8月15日の参拝に固執することはない。 靖国神社は、第二次世界大戦のためにつくられたわけではない」と述べつつ、「稲田さんが、逃げ道を作るかのように海外出張したのは間違い」 「365日いつでも参拝したらいい。8月15日にこだわるのは中国の思うつぼ」とラジオ番組で話しています。

 

主権回復記念の日の靖国参拝

たしかに稲田議員は、防衛大臣として靖国神社に参拝はしていません。 ただ2016年、既に国会議員として靖国神社参拝をしていたことは、あまり知られていないようです。

なぜか? 理由は簡単です。 報道されていないからです。

今年の4月28日、稲田議員は自身が会長を務める『伝統と創造の会』の国会議員と一緒に、靖国神社での参拝を行いました。 『伝統と創造の会』とは、2005年の衆議院議員選挙で当選した自民党の新人メンバーで設立した会です。

 

4月28日と聞いて歴史に多少関心がある人であればピンとくるかと思いますが、この日は1952年、サンフランシスコ平和条約が発効された日です。 およそ6年8ヶ月におよぶGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)の日本統治が終了した日が、4月28日でした。

『伝統と創造の会」ではこの日を重要視して、会を立ち上げた2006年から数えて、今年で11度目の靖国参拝を行っています。 会長である稲田朋美議員も当然のことながら、一緒に参拝しています。

稲田朋美議員が防衛大臣に就任したのは、2016年8月3日でした。

稲田朋美防衛相

防衛大臣就任前の4月28日時点で、稲田議員は自民党の政調会長の要職にありました。

靖国参拝を終えたその日の夕方、稲田議員は『主権回復記念日国民集会』に来賓として会に参加し、祝辞を述べています。 奇しくも、その時の挨拶が、未来を暗示している内容となりました。

「このところは(私が靖国参拝をして報道されることが)ニュースの価値がないようで、むしろ靖国神社参拝をしなかったら、大きなニュースになったんじゃないかなと思ったりします」

と述べています。 本当にその通りになりました。

以下の動画、52分10秒から稲田議員の挨拶です。


 

 靖国神社への思い

稲田朋美議員の靖国神社への思いは、議員になる前、弁護士時代からのものです。  『稲田朋美議員の若い頃は?

 

先祖の方々への感謝の思い、いわれなき汚名を着せられた英霊の無念を晴らしたい、そういった思いが強ければ強いほど、今回の終戦記念日に、大臣として靖国参拝できなかったことは、無念だったことでしょう。

こと国の安全保障関連においては、反対のための反対しかしない某議員に追及されたからといって、涙ぐむはずもありません。 「どの口がそれを言うか」といった感じでしょう。

%e3%81%a9%e3%81%ae%e5%8f%a3%e3%81%8c%e8%a8%80%e3%81%86

たぶん自分自身が一番の責任者(首相)であれば、8月15日ではないにしても、靖国参拝に踏み切った可能性大です。 責任は自ら取るという覚悟で。 安倍首相のもとの防衛大臣としての結論が、今回の対応になったということです。

 

冒頭で書きましたが、こんな状態がいつまで続くのでしょうか。

嘆いていても仕方ありません。 米国に対して上手く立ち回りながら、閣僚・首相の靖国参拝という既成事実を積み上げていくのが一番良い方法でしょう。

 

来日したアウンサンスーチーの若い頃は? どんな人?

アウンサンスーチー氏が来日

ミャンマーのアウンサンスーチーが2016年11月1日に来日しました。

【時事通信】2016.11.1

ミャンマーのアウン・サン・スー・チー国家顧問兼外相が1日、羽田空港着の全日空機で来日した。 今年3月の民主政権発足後、事実上の最高指導者となって初めての日本訪問で、2日に安倍晋三首相、3日に岸田文雄外相とそれぞれ会談する。 日本側は、経済協力の拡大などを通じて関係強化を図る考えだ。

%e3%82%a2%e3%82%a6%e3%83%b3%e3%82%b5%e3%83%b3%e3%82%b9%e3%83%bc%e3%83%81%e3%83%bc2

アウンサンスーチー どういう人?

「アウンサンスーチーって、誰?」若い人にとってはあまり馴染みがない名前かもしれません。

ミャンマーは以前、ビルマという国名でした。

ビルマは第二次世界大戦前は、イギリスの植民地でしたが、独立運動家で「ビルマ建国の父」と呼ばれているアウンサンの功績もあり、イギリスから独立を果たします。

そのアウンサンの娘が、アウンサンスーチーです。 1945年6月19日生まれで、今年で71歳になりました。

イギリスのオックスフォード大学で学びイギリスで生活していたアウンサンスーチーが、ミャンマーに帰国したのは1988年3月、彼女が42歳の時でした。 ミャンマーはその当時、軍事政権が国を治めていた時期で、民主化運動が激化していた時でもありました。

%e3%82%a2%e3%82%a6%e3%83%b3%e3%82%b5%e3%83%b3%e3%82%b9%e3%83%bc%e3%83%81%e3%83%bc-%e3%83%9f%e3%83%a3%e3%83%b3%e3%83%9e%e3%83%bc%e7%b7%8f%e9%81%b8%e6%8c%99

「ビルマ建国の父」の娘の帰国に、民主化運動は益々盛り上がりを見せますが、その分弾圧も激しくなり、1989年7月にアウンサンスーチーは、自宅軟禁状態に追い込まれます。

その後、軟禁の解除は行われましたが、ことあるごとに自宅軟禁が繰り返され、自由な政治活動ができないよう、軍事政権は行動を制限しようとしました。

2012年に行われたミャンマー連邦議会補欠選挙に、国民民主連盟から立候補したアウンサンスーチーは初当選を果たし、2015年の総選挙でも大勝した国民民主連盟は与党となり、ミャンマーの舵取りを任せられることになりました。

 

アウンサンスーチーの若い頃は?

%e3%82%a2%e3%82%a6%e3%83%b3%e3%82%b5%e3%83%b3%e3%82%b9%e3%83%bc%e3%83%81%e3%83%bc4

この写真は、英国にて結婚し、子供を抱いている時のものです。 長男か次男か不明ですが、長男は1973年に生まれていますので、アウンサンスーチーが30歳前後の時のものです。 知性と気品が感じられる写真です。

こちらの写真は、40代前半の時のものです。 この時もかなり痩せている雰囲気です。

%e3%82%a2%e3%82%a6%e3%83%b3%e3%82%b5%e3%83%b3%e3%82%b9%e3%83%bc%e3%83%81%e3%83%bc%ef%bc%95

ご主人とのツーショット。

%e3%82%a2%e3%82%a6%e3%83%b3%e3%82%b5%e3%83%b3%e3%82%b9%e3%83%bc%e3%83%81%e3%83%bc7

この笑顔が美しい写真は、すでにミャンマーに帰国した後に写したものです。

¤Aung San Suu Kyiiƒ~ƒƒƒ“ƒ}[j@ ƒ~ƒƒƒ“ƒ}[–¯Žå‰»‰^“®Žw“±ŽÒ

 

こちらの動画は、2011年につくられたアウンサンスーチーの半生を描いた映画の予告編です。